Monday, November 30, 2009

ドキドキさせたスピーチ

今夏私は北海道国際交流センターで日本語日本文化講座に参加した。六月から八月まで函館という町に住んでいて、日本語などを勉強していた。その間の中で、一つの重要な宿題はスピーチコンテストのために原稿を書いて、同級生の前でスピーチをすることだった。おさかという先生は私のクラスの皆さんにカルチャーショックについてのテーマを使わせた。それぞれのクラスは二番目のスピーチをプログラムの皆さんの前で賞与のためにもう一度することになっていた。

私はスピーチで日本に着いた時から一番驚いたショックは食べ物でもゴミの分別表でもていねいさでもなくて、若者が年配の方に対する考え方だということを書いてあった。それから、アメリカは日本に比べて、年配の方がされているということについてを含んだ。最後に、アメリカは日本のように年配の方を大切にすることにすればいいという感じを伝えた。同級生の皆さんは私のスピーチに引き込まれたので、私はスピーチのコンテストに出ることになった。

スピーチコンテストのために、原稿を全部覚えなければならなかった。そういうことは英語ではかなり難しくて、日本語でもすごく難しいのはいうまでもない。そして、私のクラスの前で話すのを心配しなくても、プログラムに参加した皆さんやホストファミリーの皆様や函館の市民などの前で話すのはすごくこわかった。何回も練習しても、かえってもっと緊張してきてしまった。

スピーチをしなければならなかった日、試験もあって、本当に目が回っていた。試験の後で、クラスがあったのに、先生の授業をちゃんと聞けなかった。クラスが終わった後で、スピーチコンテストが行われていたホテルに行った。コンテストの部屋は私が思ったより大きかった。すぐ心臓はドキドキしてきた。

私は六番目のスピーチだった。待っていた時、他人はスピーチを上手に出来たということのおかげで、冷静になった。しかし、五番目の人はスピーチを全然思い出せなかった。私も同じ問題があるかなあとういう考えで、もう一度心配してきた。
やっと、私の番が来た。コンテストの部屋はもっと大きくなりそうだった。急に、言葉は私の口を出た。考えられなくて、スピーチーをした。いつのまにか、何も忘れないで、終わった。スピーチの後で、一人の先生はスピーチの内容について質問もすることになった。その質問と私の答えも思い出せない。しかし、後で、皆は私のスピーチーは上手だと言ってくれた。

意外に、二番目の賞与を得た。そのこわくて、ドキドキされたスピーチは実に大丈夫だった。困ったことは私の心境だけだった。その経験のおかげで、将来、そのように心配しなくてもいいということを学べた。それ以来、私の腕前を信じなければならないという考え方を持つようにしている。本当に頑張っている。

3 comments:

Yiwen said...

ペドロさんは日本語が上手ですね。「若者が年配の方に対する考え方」というのは深い意味のある話題だと思います。そのテーマは難しいですね。たくさんの人々の前に日本語でスピーチをすることが出来って、そしてコンテストの二番目の賞与を得たのは、本当にすごいです!

キャサリン said...

うまいですねえ。ペドロさんはとても緊張しても自分のスピーチをぜんぜん忘れないということは素晴らしいと思います。私ならたぶん強張って、言葉をあまり出ないかもしれません。

「その経験のおかげで、将来、そのように心配しなくてもいいということを学べた」を書きましたね。私なら、その言葉を考えられるけど、現実でできないと思いますよ!

Hiroshi said...

キャサリンさんも言っていますけど、スピーチを考えて、書いて、練習して、覚えて、みんなの前できちんと話せたということは、大きな自信につながったでしょうね。六番目なら一番最後だったんでしょうか。みんなのを聞いて順番を待つのが長くて大変でしたね。