Monday, October 19, 2009

自由

国々は色々な習慣や文化があって、やはり世界中社会は違っている。でも、僕にとって、どんな国かは一つの法律を守った方がいいと思う。その法律は皆は自由だ。自由について本当の意味は何だろうか。言いたいことを言える?行きたいところに行ける?適切な背門技術を持てば、どんなところかで働ける?お金があれば、どんな物でも買える?自分の考え方を持てる?それはそうと思う。しかし、自由人として生きているので、社会に対して何をしてもかまわないと思っている人が多いだよ。自由で必ずしも他人について考えなくてもいいというわけではない。自由なら社会をもっと安心して暮らせるようにすればいいのに。だから、僕は無政府主義に反対だ。それは僕の考え方だ。あなたの考え方はどう?

4 comments:

スイナー ケイト said...

そうわね。私はC.C.で「法律は自由さを守るために」と考えた哲学者について勉強している。私もそれと思う。したいことを何でもするではなくて、みんなの大切な目処を守るのは社会の自由さの目的よね。

风剪闲愁 said...

よく考えさせるトピックね。わたしにとって、自由は難しいかもしれない。自由は大きい言葉で何もしずに得にくいものだ。権利とか宗教とか。でもね、ちょっと小さい言葉であれこれ見つける物事だ。例えば、だれがでも新鮮な空気が深呼吸できる。忙しくても、自然が見えること。それも自由だと思う。

Hiroshi said...

なんだか深いですね。自由があるのは素晴らしいし守らなければならないと思う一方で、ペドロさんの言う通り、自由があるからといって、社会に対して無責任になってもいいというわけでもないと思います。


「背門技術」→「専門技術」
「どんな物かを買える」→「どんな物でも買える」
「自由人とうして生けるなので、社会に対するすることはかまわないと思っている人が多い」→「自由人として生きているので、社会に対して何をしてもかまわないと思っている人が多い」?
「自由なのに、社会をもっと安心にすることになればいいのに」→「自由なら社会をもっと安心して暮らせるようにすればいいのに」?
「僕は無政府主義に異なっている」→「僕は無政府主義に反対だ」

ペドロデュラン said...

>ケイトさん、僕も皆の目処を守らなければならないのは社会の自由さだと思う。

>ヤンリーさん、僕もコメントで書いてくれた自由さを認める。それは心理的な自由さだね。

>先生、書き直すを書いてくださってありがとうございます。「社会に対して無責任になってもいいというわけでもない」というのは僕が本当に書きたかった感じなので、先生はその僕が書いたことより適切な分を書いてよかったですね。